中国地方の地質

中国地方の特徴的な地質を解説します。

石見銀山

石見銀山(いわみぎんざん)の由来

石見銀山は島根県大田市大森町の仙ノ山(せんのやま。標高537.8m)を中心とした銀銅鉱山で、大森銀山または佐摩(さま)銀山とも呼ばれました。室町時代末期の1526年に本格的な開発が始まり、以来およそ400年に渡り銀が採掘された日本最大の銀山であったといわれています。とくに16世紀から17世紀にかけて栄え、石見銀山を巡って戦国武将達が対立しました。17世紀には、多いときで年間銀産出量67.5トン、全世界の産出量の約1割を占めていましたが、その後銀産出量は減少していき、地震や水害等の被害によりあえなく閉山してしまいました。

現在は閉山していますが、「東西文明交流に影響を与え、自然と調和した文化的景観を形作っている、世界に類を見ない鉱山である」として、2007年7月にUNESCOの世界遺産に認定されました。石見銀山の特徴である「山を崩したり森林を伐採したりせず、狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式」が「21世紀が必要としている環境への配慮」として非常に高く評価されたためです。

石見銀山(龍源寺間歩)入り口写真

石見銀山(龍源寺間歩)の坑道写真

《石見銀山(龍源寺間歩)》

石見銀山の位置の図
《石見銀山の位置》

石見銀山の地質と鉱床

石見銀山の周辺には大江高山火山群の噴出物が広がり、その下位には都野津層群が分布しています。都野津層群は鮮新世末から更新世に形成された地層で、西側に広く断続的に分布し、赤い色が特徴の石州瓦の陶土にも使われています。また、都野津層の下層には、中新統の火山岩と火砕岩類、堆積岩類が分布しています。

この火山岩と火砕岩類は、日本海形成期にその海底で生じた火山活動によって形成され、グリーンタフ層に属します。この地層は金属・非金属資源を富む地層で、周辺には石見鉱山、松代鉱山などの黒鉱鉱床が存在しています。

石見銀山付近には、第四世紀更新世(200万年前から70万年前)に活動した火山群が分布しています。これらの火山群は主にデイサイト質の溶岩ドームや火砕丘で形成されており、火山活動の末、石見銀山を生み出しました。

石見銀山の銀鉱床は、大江高山火山群の火山活動を引き起こしたマグマから発生した熱水によって約100万年前にできた鉱床です。石見銀山の鉱床は2つのタイプの鉱床、すなわち、鉱脈鉱床である永久(えいきゅう)鉱床と鉱染鉱床である福石(ふくいし)鉱床からなります。銀を多産したのは、地表近くに分布する福石鉱床であり、母岩となる岩石自体に鉱物を溶かし込んだ熱水が染み込んで鉱石ができたものです。福石鉱床の主な銀鉱物は、輝銀鉱、自然銀などの比較的単純な銀化合物です。また、岩石が比較的柔らかく、掘りやすいといった特徴があり、16世紀における銀の量産に一役買いました。

一方、永久鉱床はマグマ中の熱水の温度が下がることによって結晶化し、脈状に鉱物が生成したものです。地表から地下に分布し、銀を含んだ黄銅鉱・黄鉄鉱・方鉛鉱などを産出しました。永久鉱床の主な銀鉱物は、輝銀鉱、自然銀の他に、銅などの元素との複雑な化合物です。銅を主体として銀を伴う岩石であり、福石鉱床が少なくなるに連れ、次第に永久鉱床に着手されるようになりました。

銀鉱床ができるまでの解説図
《銀鉱床ができるまで》

参考
しまね観光ナビ
http://www.kankou.pref.shimane.jp/mag/07/07/ginzan_main_spot.html
石見銀山
http://www.iwamigin.jp/

「株式会社エイトコンサルタント 大川博史」

花崗岩の風化

花崗岩は通称「みかげ石」と呼ばれており、粒子の大きさが数mm程度の石英、長石、雲母などの鉱物からなる岩石です。できた時代はいろいろですが、中国地方に広く分布しています。石垣や敷石、墓石などに古くから利用されており、誰もが一度は目にしたことがあるでしょう。また、花崗岩が風化すると「まさ土」と呼ばれる白っぽくてザラザラした土になります。これも園芸などで広く使われています。このように、花崗岩は人間と関わりの深い岩石なのです。ところが、花崗岩からまさ土への風化過程は他の岩石に比べて複雑で、その機構も完全には解明されていません。

花崗岩は一般に、節理と呼ばれる縦や横の亀裂が発達しています。その亀裂に沿って水や空気が進入すると、長石、雲母などが粘土鉱物へと変化して「まさ土」化するのです。亀裂間隔が1m以上の地域では、「コアストーン」と呼ばれる未風化礫(大きいときは直径数mにも達する)がゴロゴロする特異な地形を形成します。また、亀裂間隔が数cmの亀裂密集帯では、水が岩盤全体に浸透するため風化が進行し、地表から100m以上の深さまで「まさ土」からなる「深層風化帯」を形成します。

風化した花崗岩は掘削がしやすい反面、災害の危険性も併せ持っています。まさ土化が進んだ斜面では崖崩れや土石流などの土砂災害がしばしば発生します。また、コアストーンが山腹斜面に点在する地域では落石の危険性があります。さらに、岩自体は非常に硬質でも、亀裂や節理に囲まれた岩塊が崩壊やすべりを起こすこともあります。

このように、花崗岩は風化形態により様々な表情を見せます。我々は、昔の人と同じように花崗岩を開発するだけでなく、上手に付き合っていく必要があります。

深層風化状況(20m以上)
深層風化状況の写真

まさ土の近景(手で簡単に崩せる程度)
まさ土の近景写真

コアストーン(大きいものは径2m)
コアストーンの写真

節理が発達した硬質な花崗岩写真節理が発達した硬質な花崗岩。1m程度の岩塊が節理沿いに抜け落ちている。

「復建調査設計株式会社 小笠原 洋(おがさはら ひろし)」

大山火山灰

大山火山(1729m)は鳥取県の西部に位置し、東西約35km、南北約30kmの第四紀複成火山(休止期を挟んで噴火活動が繰り返された結果生じた火山のこと)です。約100万年ほど前から噴火活動をはじめ、約2万年ほど前に最後の活動があり、それ以降の噴火活動を示すものは今のところ確認されてはいません。

大山火山灰は表-1に示すように大山の噴火によって順序よく降下堆積しており、大山周辺では数mもの厚さで分布しますが、県下東部では1mから数十cm位となっています。中でも約5万年前に噴出した大山倉吉軽石層(DKPと略称しています)は鳥取県下だけではなく、北陸、信州、北関東の各地で見出されており、地層の時代を決定するのに重要となる広域テフラ(ギリシア語で灰の意味で、火山灰のことを示す学術語)として広く知られています。

表-1 大山火山灰の層序
上部火山灰層
MsP
弥山軽石
Uh
上のホーキ火山灰層
Od
オドリ火山砂層
Sh
下のホーキ火山灰層
AT
姶良Tn(2.1~2.5万年前)
中部火山灰層
NT
偽ホーキ
DKP
大山倉吉軽石(4.5万年前)
HoF
堀火砕流
DSP
大山関金軽石
下部火山灰層
DNP
大山生竹軽石
DAP
大山荒田軽石
Aso-4
阿蘇-4(7万年前)
K3
木次軽石(8万年前)
NwF
名和火砕流(10万年前)
DMP
松江軽石(12万年前)
最下部火山灰層
HdP
樋谷軽石層(13~15万年前)等
大山凝灰角礫岩、蒜山原層

火山灰は普通の土に比べると、単位当たりの重さが軽く、水分が多く、土粒子が壊れやすいことを特徴としています。このため、土木工事においてはダンプトラックが走れなくなるほど問題の多い土とされています。しかし、その分布厚はあまり厚くないことからこれまでは問題とされることは少なかったのですが、大山の西側に建設された鳥取県フラワーパークの工事では、火山灰が厚く出現したためセメント等を加えて改良し、捨土をしない方法によって大山火山灰を利用しました。また、大山火山灰は水持ちがよいことから園芸用の土として利用されたり、梨園をはじめとする果樹栽培にも適しています。甲子園のグランドの黒土は、大山火山灰最上位層の黒ぼくという土が用いられていることもよく知られているところです。

大山の中部~下部火山灰層写真中央の黄色部がDKP、その下がDNP。両側の褐色部は最下部火山灰層。

大山の上部~中部火山灰層写真最上部は黒ぼく、クラック帯の下に横筋の見えるのがUh、その下がOd、その下の横筋のあるのがSh、その下がAT、そして黄色部のDKPとなる(ポールの下端部)

「株式会社ウェスコ 伊藤 徹」

鳥取砂丘

鳥取砂丘は、鳥取県の東部を北流する千代川河口を挟んで、東西15km、南北約1.5~2.0km、面積1800haにも達する海岸砂丘です。鳥取砂丘という名称は、起伏に富んだ地形や砂表面の風紋がみられるなどの雄大な景観が観光地として脚光を浴びるようになった1950年代後半に定着し、1955年に国の天然記念物に指定されました。

鳥取砂丘は広大な海岸砂丘であることと、海岸線に斜交する高さ40mに達する砂丘列が3列あり、その背後はスリバチと呼ばれる急な斜面が形成されていることが特徴です。

鳥取砂丘は大山火山灰層(大山倉吉軽石層があります)を挟んで上下の2層があり、上位は新砂丘、下位は古砂丘と呼ばれており、古砂丘は新砂丘に比べると褐色~黄色を帯びた色を呈しています。新砂丘は黒砂層と呼ばれる砂丘活動の休止期を挟んで新砂丘Ⅰ、新砂丘Ⅱと区分されており、全体に白っぽい色を呈しています。

砂丘の形成される前は、これらの地区は海岸線の入りくんだ内湾でしたが、湾口に砂州が形成され、さらに古砂丘、大山火山灰が堆積し、その後の海退期に新砂丘が発達しました。

砂丘砂は、石英と呼ばれる鉱物を中心としており、その平均粒径は、0.2~0.3㎜と小さく、かつ、ほぼ均等な粒子の大きさで構成されています。この粒子の大きさは風速が5m/s位になると活発に移動し、地表面がさざ波模様となる風紋を形成しやすい一因となっています。

近年では、飛砂防止のための植林により砂丘砂の移動が少なくなったために草地化した部分が多くなり、本来の砂丘の姿を取り戻すために植林の抜木、植物撤去工事が行なわれています。

また、砂丘地内には全国共同利用施設の鳥取大学の乾燥地研究センターがあり、乾燥地における農業的利用や諸般の研究が進められています。

鳥取砂丘の写真。砂丘の起伏と風紋起伏のある砂丘の姿。右手下に風紋が作られている。
(撮影:都宮和久)

鳥取大学乾燥地研究センターの写真鳥取大学乾燥地研究センター。実験施設のアリドドーム。
(撮影:都宮和久)

図-1 鳥取砂丘位置図
鳥取砂丘位置図

図-2 鳥取砂丘とその付近
鳥取砂丘とその付近の地形図

図-3 鳥取砂丘断面図
鳥取砂丘断面図

「株式会社ウエスコ 伊藤徹」

秋吉台カルスト台地

西の京、山口県中央部に日本最大のカルスト台地、秋吉台があります。四季折々に雄大な景観が訪れる人々の目を楽しませてくれていることは、ご存じの通りです。

カルスト地形とは、ヨーロッバの地中海に面した国 ユーゴスラビアの北西部に石灰岩の山があるカルスト地方にちなんでいます。カルスト地形は石灰岩によってできているため、石灰岩地特有の地形をしています。

石灰岩はおもに炭酸カルシウムという成分からできています。石灰岩台地に降る雨は空気中の二酸化炭素を含み込んで弱酸性の水となります。さらに土の中を通る時に、多くの二酸化炭素を含みます。この水が、炭酸カリシウムでできている石灰岩に触れると化学反応をおこし、石灰岩を少しずつ溶かします。地表を流れた水は、石灰岩の割れ目から地下にしみ込み、溶食作用が繰り返され、永い間に凹地(ドリーネ、ウバーレ、ポリエ)や鍾乳洞を形成します。このように、石灰岩が溶けてできた凸凹のある地形や地下の洞窟をまとめて、カルスト地形と呼ばれています。

秋吉台の石灰岩は、今から3億5千年前、古生代;石炭紀から二畳紀の時代に海底に堆積したフズリナ、サンゴ、石灰藻などの生物の遺骸によってできた珊瑚礁が隆起したものだそうです。

秋吉台の石灰岩地層は、数百メートルの厚さにおよんでいます。地殻変動などでできた割れ目は溶かされ、少しずつ大きくなり、やがて水路となります。壁や天井が崩れ、さらに大きな洞窟へと発達していきます。また鍾乳石や石筍などの二次生成物が形成され鍾乳洞が生まれます。秋吉台の地下には、大小あわせて約420の洞窟が発見されています。その中の最大規模の洞窟に秋芳洞(しゅうほうどう)があります。

秋芳洞は、30万年の歳月をかけて造られたと言われています全長約10kmのうち観光ルートは、1kmほどで、特別天然記念物に指定されています。

秋吉台カルスト台地の風景
羊の群と呼ばれる石灰岩柱(カレンフェレルト)と凹地(ドリーネ)
秋吉台カルスト台地の風景写真。石灰岩柱とドリーネ

「日本地研株式会社 岩本 義則」